福建土楼の村 朝の散歩

みなさまはどんなクリスマスの週末をお過ごしでしょうか?

我が家は、普段と変わらない日曜日を過ごしています。「日本ではケンタッキーフライドチキンが大混雑だったそうだよ」とニュースページを読んでいた夫が言っていました。西洋で七面鳥を食べる習慣が、フライドチキンにうまくすりかえられたんでしょうか。

夫の一族は、イブに魚介類を食べ、クリスマス当日に七面鳥を食べるのだそう。魚介類は奇数でなければならず、緑の野菜と一緒に食卓にだされるのだそう。毎年同じ質問をして、ちっとも覚えられない私であります。

 

前国王が亡くなって、喪中のタイ。冬の日本ならともかく、バンコクでも、道行く人のほとんどが、黒い服か無彩色の服を着ています。百貨店などに行くと、婦人服売り場が黒と白の服で埋め尽くされています。普段、タイの人は鮮やかな服を着ていますが、こんなことは初めて。クリスマスツリーも見かけ、モールはキラキラして賑やかですが、人々の表情は硬いように感じます。

 

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さて、福建土楼の続きです。

 

滞在した竜岩市永定県の湖坑鎮洪坑村ですが、日中は観光客で大賑わいです。でも、朝早くは静かで、村の人の生活ぶりがみられました。霧もたちこめ、雰囲気抜群。散歩に最適でした。土楼めぐりもよかったけれど、私はこの時間が一番のお気に入りでした。

 

洪坑村
毎朝この道をそうじしているおじいさん。挨拶すると「おはよう!どこへ行くんだい?」と声をかけてくれました。Hongkeng Village, Hukeng Town, Yongding County

 

福裕楼(宿泊宿)の向かいにある、小さな規模の土楼 如升楼。
宿の向かいにある小さな土楼、如升楼。”Rushenglou” Hongkeng Village, Hukeng Town, Yongding County

 

朝市。奥のうさぎに注目。
朝市。左端は地元のうさぎ。(←宿で出してもらったのを食べましたが、まあまあおいしかったです)Morning market, Hongkeng Village, Hukeng Town, Yongding County

 

こちらは大きな土楼
こちらは大きな土楼、朝陽楼。 朝市帰りのおばあさんと。”Chaoyanglou” Hongkeng Village, Hukeng Town, Yongding County

 

今回の拠点にした「福裕楼」は、1880年から3年間かけ、10数万元の銀貨を使って建てられた土楼だそうです。これを建てた林三兄弟は、タバコ関係のビジネスで財を築いたのだそう。部屋数168、楼の敷地面積7,000平方メートルというのですから、日本では考えられない規模のお屋敷ですよね。

3日間で数々の土楼を訪れましたが、中でもこの福裕楼が土づくりにも関わらず5階建てと一番高く(五鳳楼という様式)、最も複雑なデザインをしています。今はあちこちホコリだらけですが、内部は彫刻などで装飾されて大変優雅でもあり、当時の繁栄ぶりを想像させるつくりでした

ここまで大きくて高くて堅牢な建物を建てて、跋扈(ばっこ)する強盗や野生動物から一族を守らなければならなかったとは。客家の人々持つ、家族の結束力を思わせます。

福裕楼。チベットのポタラ宮のようです。
福裕楼。チベットのポタラ宮のようです。”Fuyulou” Hongkeng Village, Hukeng Town, Yongding County

 

宿の看板犬。
宿の看板犬。”Fuyulou” Hongkeng Village, Hukeng Town, Yongding County

 

福裕楼の中で。
福裕楼の中で。”Fuyulou” Hongkeng Village, Hukeng Town, Yongding County

 

福裕楼の中
福裕楼の中 ”Fuyulou” Hongkeng Village, Hukeng Town, Yongding County

 

土楼は福建省のメジャーな観光地となってるようで、特に週末にはアモイから一日ツアーの観光客がどっと押し寄せます。穏やかな昔ながらの田舎を想像して行ったので、土楼によっては観光客で大混雑、お土産物屋ばかりで興ざめでした。「10元出せば最上階を見せてあげる」と、商売気旺盛な一族も。

一方で、誰もこない、ひなびた土楼にいたおじいさんたちが、「どこから来たんだい?中に入って見ていきなさい」と、ニコニコと話しかけてくれたのが、まったく正反対で印象に残りました。観光客の落とすお金が現地の人の生活を変えてしまうさまにも、はっきり境界線があるようで興味深く思います。

 

雲南省の最南端、西双版納傣族自治州を通った時(2012年)に、バスの窓からダイ族(傣族)の集落をいくつも見かけました。森の中にある集落の周りにはバナナの木が茂り、独特のタイ式の家々から煙が上がっている様子を見て、途中下車してみたいなあと思ったものです。今考えると、近くの大きめの街で宿を探して、そこから車をチャーターして行けば、行かれないことはない、、かな?

中国は広くて深く、見どころも行きたいところもたくさんあるので困ります!

次回の中国訪問は、苗族の藍染めを見に貴州へ行ってみたいです。

福建土楼の村巡り

Chuxi Village, Xiayang Town, Yongding County

バンコクへ来て6日目。とりあえずの生活用品も揃い、いつものアパートにようやく落ち着きました。実家の母が人台を発送してくれたそうなので、その到着を心待ちにしているところです。

中国の空気は年々悪くなるように思いますが、バンコクもそれに負けないほど。長野の澄んだ空気とは比べものになりません。でも、屋外で泳げるほど暖かいので、文句をいうべきではありませんね。

そういえば、広州で泊まった宿に屋内プールがあったので、息子を連れて入ってみたのです。「温水」とあったのに、どうひいき目に見てもそれは「常温水」。あまりの冷たさに、キャーと叫んですぐに出てきてしまいました。よく見れば窓も全開だし、プールにヒーターが入っているようには見えませんでした。いくら広州とはいえ、常温のプールでは泳げません、、。

 

話が逸れました。

 

中国滞在時、福建省の山奥の村にいたとき、wifiがうまくつながりませんでした。ブログのアップもできないままだったので、記憶の薄れないうちに2回に分けて載せていきますね。

 

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福建省アモイからバスで3時間半、車でさらに30分走ったところにある洪坑村を起点に、辺りにある客家(ハッカ)の土楼を見るのが今回の目的でした。村に着いてから、まずはドライバーを手配して、あちこちに点在するその土楼をみることに。

土楼とは、外からの外敵から一族を守るための外壁と住居を兼ねた建物で、円形だけでなく、長方形や正方形のものがあります。分厚い土壁と木でできていますが、日本の土壁のように竹などを組んで土を塗り重ねた壁ではなく、土のブロックを積み重ねた上に土を塗ってできているようです。

 

福建省漳州市南靖県書洋鎮 田螺坑土楼群
福建省漳州市南靖県書洋鎮田螺坑村 田螺坑土楼群を上からみたところ Tianluokeng Village, Shuyang TownNanjing County

 

高頭郷高北村の「承啓楼」
竜岩市永定県高頭郷高北村の「承啓楼」。入り口付近の人の大きさと比べると巨大さが際立ちます Chengqilou (King of Tulou), Gaobei Village, Gaotou Town, Yongding County

 

土楼の中 見上げるとこんな感じです 高頭郷高北村の「承啓楼」
土楼の中 見上げるとこんな感じです 同じく「承啓楼」Chengqilou (King of Tulou), Gaobei Village, Gaotou Town, Yongding County

 

干し柿 日本の作り方とは違いますね
干し柿 日本の作り方とは違いますね  Gaobei Village, Gaotou Town, Yongding County

 

塔下村にて
漳州市南靖県書洋鎮塔下村にて 土楼の中庭で料理をするおばあさん Ta’xia Village, Shuyang Town, Nanjing County

 

湖坑鎮洪坑村にて お酒を造るための薪の準備をしていたようです
湖坑鎮洪坑村にて お酒を造るための薪の準備をしていたようです Hongkeng Village, Hukeng Town, Yongding County

 

南靖県書洋鎮下坂村 土楼の隣にあった素朴な建物 タロイモなども地面に干してありました Shangban village Shuyang TownNanjing County

 

土と木という組み合わせでも、こうも日本と違うものが出来上がるのですね。

豪華なつくりの土楼でも、小さく質素な建物でも、親しみを感じるのは、これらが土と木を使って、コツコツと人間の手で作られているからでしょうか?

古い建物がコンクリートの巨大な箱に置き換えられ、道が拡張され、どんどん変わって行く中国の街並みを考えると、このような村々が残っていること自体が驚きです。

鼓浪嶼(コロンス島)

バンコクに無事到着しました。

広州から、初めてのスリランカ航空機に乗り、映画を一本みたり、おいしい機内食とセイロン紅茶の爽やかさにびっくりしたりいるうちに、あっという間に到着。このままスリランカへ行ってみたいなぁ、、と思いつつ(飛行機の最終目的地はコロンボ)バンコクで降りました。

昨日はいつものアパートに行って契約してきたので、これから生活用品の買い出しです。アイロンも買わなきゃ、、(仕事に使います)。

タイに来てから、まだ写真も撮っていません。代わりに、アモイ滞在時に行ってきたコロンス島の写真を下にアップしますね(上の写真もコロンス島です)。

 


 

アモイから500mほど離れた位置に浮かぶこのコロンス島へ、フェリーで行ってみました。この島には、アヘン戦争の後に米、英、日、独、仏の領事館が作られ、華僑などの建てた赤いレンガの洋館が建ち並びます。

アモイを代表する観光地だけあって、どこも人、人、人、、、観光客の多さにびっくり(私たちもそのうちの3人ですけれど、、)。すいている裏道を選んで歩いてきました。

 

 

大きな洋館は、美術館、ホテルやレストランなどに改造されているものもありますが、空き家状態の豪邸も多く、木が建物に覆いかぶさるように生えているところも。このジャングル具合はさすがは南国。お屋敷もこのまま朽ちていくだけなのでしょうか。

 

 

 

広州最終日

山奥の村にいたときに洗濯ができなかったので、温暖な広州にきてから洗濯三昧です。今回も、「海へ・・」、折りたたみバケツ、ハンガーのセットを持ってきました。

紺色に染めたこのリネンのシャツコート(下の画像)を、毎日のように着ていますが、これが大変重宝しています。生地も中薄手なので、夜洗えば、朝には乾いています。

暑ければキャミソール、肌寒ければ長袖のTシャツを下に着ます。薄手のセーターの上から羽織るコートにもなるし、両脇ポケットに切符だのペンだの細々したものが入るし、今更ながらとても便利なことに着がつきました。運動量もとってあるので、バックパックを背負っても、袖の動きに不自由ありません。

膝下まで長くて、ボタンがズラッとついている服はいいな、と着てみて改めて思います。春と秋が1~2週間で終わってしまう長野では、こういった中間服はあまり着る機会がないのです(毎日作業着ですしね)。

リネンのシャツコート
中薄手のリネン、天然藍と五倍子で染めたシャツコート。確か、2年前の秋冬向けに作ったものです。

We were in Guangzhou for a few days six years ago on our first winter trip as a family. Our son was only four years old then.

We stayed in an area near the Pearl River and the Swan Hotel. My husband had eaten lunch at the Swan Hotel in 1989, had walked to a then-nearby outdoor food market selling all sorts of animals for food, found very few cars on the streets, and a much flatter skyline. . .China was a different place then with few foreign travelers, and absolutely no local ones, just two months after Tiananmen.

Six years ago, 21 years after my husband’s first visit, the Swan Hotel had become a kind of staging area where foreigner couples could be seen in a nearby playground with Chinese toddlers they planned to adopt and in the adjoining small park we watched middle-aged Chinese couples practicing ballroom dancing and tai chi early in the morning.

This year, we stayed in a different neighborhood in Guangzhou, near a small park, something we look for before booking as a place where our son, now 10, can use the exercise machines or just run around. This year, we saw many Chinese tourists both domestic travelers and those from Hong Kong and Taiwan, wherever we went, but few foreigners.

We found the food better prepared and tastier six years ago, but that may have been just our hit-and-miss experience in choosing restaurants. We ate nothing particularly interesting this time, nothing memorable.

Prices had risen, too, in the past six years, not unexpectedly, prices for everything. People were warm and mostly helpful.

The Chinese Government seems to be promoting domestic tourism, now that its country’s middle class has grown and has more money to spend, and catering less to the foreign visitors still traveling to China. Frankly, there is less of traditional China to draw outsiders, and local people travel mostly on bus tours, taking selfies, buying inexpensive and cheaply made souvenirs, and moving quickly on to the next too-crowded site.

This year, we spent two weeks in China, all the time my son and I could spend in that country without a visa, and saw some interesting places in Fujian and Guangdong provinces (about which I will write more in another entry) and hope some of it sticks with our son and broadens his life (and ours) in some way.

以下は広州ぶらぶら歩き最終日の写真です。

「西関大屋」エリアにある宝源路にて
「西関大屋」エリアにある宝源路にて

 

緑が多い
どこも緑が多い

 

お茶屋さん

 

水の配達。すごい重さでしょうね。

 

エッグタルト、平たい餅(ビン)、サクサクの酥(スー)と呼ばれる焼き菓子などを売っています。
エッグタルト、平たい餅(ビン)、サクサクの酥(スー)と呼ばれる焼き菓子などを売っています。

 

西関 広州
「西関」と呼ばれる建築。ドアが3重になっている様式は初めてみました。

 

広州 茘湾民俗博物館にて
西関民俗館にて

 

民俗博物館の中庭にて。やっぱり中国は石の文化ですね。
石の残骸? 同じく民俗館の中庭にて。やっぱり中国は石の文化ですね。

 

明日はいよいよバンコクへ移動です。

広州2日目

ビザ申請のため、今朝は地下鉄を乗り継いてタイ領事館へ向かったものの、到着するとそこには領事館がありませんでした。総合受付で紙切れを渡されて「ここに移築しました」とのこと。そんなーー。

その場所がいったいどこなのか、同じフロアのにいた銀行勤めのお姉さんをつかまえて聞いてみると、その紙切れをみて「appがあるから」と乗り換え情報を調べてくれました。ここでも親切に助けられました!しかし、スマホって便利ですねぇ。

 

中国はさすがに大きな国だけあって、バスの停留所間も、地下鉄の駅間も大きく離れています。地図上ではすぐに見えても、かなりの距離を歩くことも度々。今回も延々とだだっ広い道を歩いて、ようやく領事館に着きました。

そうしてたどり着いた領事館ですが、中国の観光客向けなのか、中国からのビザ申請にはたくさんの書類提出を求めていたのです。なので、ここでは私たちは申請できないことがわかってがっくり(国によって要件が違うのです。ベトナムで申請したときには、あっさり取得できたのに)。

仕方なく、すごすごと領事館を後にしたのでした。

こんなこともありますね。

 

 

 

帰りはまた古いエリアの散策です。ここには、科挙の受験者を支える書院と呼ばれる学校がたくさんあったそうです。いくつか残っていましたが、中が公開されていないのが残念。